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mem114-01104101005/緊急報告3 ......

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mem114-01104101005@○東日本大震災ドクターメモ-(4/3-4/8に活動)箇条書きにしてみます。
なお、以下は、帰った直後緊急で作成したもので、社会的必要性を感じて、独自の判断で断りなく名前など使用させていただいております。また、個人的に見たり聞いたりしたこともウラを完全に取ってませんので、あくまで、緊急ということで読まれる方、関係方々もご理解ください。宜しくお願い致します。方安庵
○有事か否かーなにが起こったか。
間違いなく、今世紀最大の有事です。日本にとっては、戦争とたいしてかわらない。
直接には津波です( ごらんのとおりです。 地震の被害は大きくない。むしろ液状化で苦しむ東京、余震で恐怖?のため飛び降りて死亡した女性、原発事故、復興など二次的被害も甚大です。(津波です。 図1, 図2, 図3)
○個人になにか出来るかーシステムとは何か
ボランティアは大きく分けて、一般ボランティアと医療ボランティアがあります。 後者は既に関西などの経験から直ぐに動き出しました( 医療スタッフミーティング)。今回岩手、宮城を中心に行きました。図は気仙沼ものです。 ボランティアチームは、世話人(当時は東京都福祉保健局災害医療担当課長の竹内氏と 松山市の医療法人ゆうの森( ここの)永井氏が音頭をとっておられました。
○開業医なにが出来るか。

    4/3に出発するまでに考えたことです。
  1. あくまで個人開業医として。仕事は来にくいが頑張る。  
  2. 小型ヘリでは、ベース(基地)、地上援助車(運搬や天候不順での代行)がいる。
  3. 災害時運行時は、現地人の案内がないと、ワイヤーハザード、燃料節約が出来ない。  など 優秀なスタッフの協力がいる。( 高橋ヘリコプター 東北緑生様
     自分で飛べても飛行補助、運行援助者が必要
  4. 災害地の各責任者との連絡 宮古医師会長木澤氏、苫小牧市医師会事務局長、医療ボランティアチームの責任者、災害地のドクター(田老地区診療所の 黒田医師)、災害地健康福祉課課長(山田町の里館氏)などと横の連絡はとっておきました。また、当チームの高橋ヘリコプターのつながりで、 ピースウインズの大西氏とお会いしました。気仙沼大島の老齢の開業のドクターのもとに、薬剤を届けていただきました。
○災害援助-なにが必要かーヘリは有用か
有用です。 ごらんください
    災害の規模によりますのでその時に考えます。
  1. 急性期(2週間)ー初動:すでに発生直後から、栃木県の自家用操縦士会では、ドクター派遣、物資輸送を交代で始めたようです。ヘリも場外申請不要で、電話一本で飛べるようです。 01AKをごらんのように、そのようなバックアップは、おそらく直ぐに得られます。  
  2. 亜急性期(4週間)当院の時期にあたります。一番考えたのは薬剤の構成でした。小型の長持ち2つ分で、蘇生セット、小型酸素ボンベ、AED、薬剤(降圧剤、子供の止痢剤、抗生剤を大人こども使えるようなものを選ぶ)、治療マニュアルをいれました。あとは、発電機、100V電源のある小型トラックが必要です。ヘリの運行には 場外が必要です。
  3. 慢性期-ボランティアが帰ったあとになにがのこるかー黒い雨はふるか復興するには   4週以上で、プルトニウムの半減期などから数十年)
○子供はどうなのか-草の根小児科としては、これが一番の仕事のようです。
かならず、聞きつけてご老人がこられますから、総合診療は本当に大切です。カルテの問題がありますので、亜急性期からは気をつけます。
今回で、まったく考えていなくて、非常に大切な問題だったのは、黒田先生から提起ありました。
いま子供たちはどうしてる?でした。
災害直後からの子供をいかに守るかで、田老地区の児童館の館長さん、保育園の園長さんともお会いして、実感しました。特に児童館の館長さん山根さんには、当院の趣旨をご理解いただき、「草の根」の支援をいただきました。感謝しております。
こどもたち 地区のご老人です。  ○黒田医師や館長さんにご報告した内容です。
疾病は、この子供たちの時は、副鼻腔炎5才男子一名と喘息様気管支炎3才女児のみでした。
黒田医師の子供のアセスメントをというご依頼で、聞けたことは、この児童館は地区保育所と合同となっていて、全児童49名のうち家族が流された児童あるが表面上異常ないとのことで、睡眠時の異常行動を観察しましたが特にそれはなく、保育師の話からも集団に変化はないとのことでした。
    従って
  1. 静かに見守りながら個別事例をケアすること、
  2. 様々な環境に分離された児童を一つにするイベント(運動会、簡単な遠足など)を行なうのも一法かと思いました。
  3. 児童館側の館長さんと話した結果、横断的連絡をとりまず、こどもの集団保育小学校の早期立ち上げがこどもにとっても避難所に残る家族にとっても良いと言う考えは正しいと思われました
翌日児童館で、4歳の女児の母、余震ごとにふるえて抱きつくこどもの相談をした。許容話す年齢になる迄時間がかかる。親の鏡 代理症のことなど話しました。館長さんのご心配を受けて、午後からは津軽石保育所は閉鎖中、 重茂地区を見て回りました 凄まじいのひとこと。残念ながらこの地区の保健所(チケイ保育所)はあとかたもありませんでした。母1人子供3人の家族が流され、こどもは数人流されたようだと、地区のこどもをもつ母よりうかがいました。
○残る問題 行政とはなにかー災害時寸断された時の脆弱性。取りまとめがいない。甚大災害で、国が出てきても現地のスタッフがいなければ何もできない。
復興の見取り図これは 大西さんなどのお仕事になりますが自分なりに考えました。ご覧ください。 図1 図2, 図3
    3地域に別ける
  1. 観光やモニュメント、記憶やゴミ
  2. 要塞地区
  3. 外郭地区ー安いが金銭的にも保証もないが景色がよい +地下シェルター (避難所)
○余題
1.停電とはなにか
 これは実際余震に「被災」し、その大切さを教えられました。 電気です。原発もそうでした。
図は岩木山PAでの風景ですが、1時間待って、10Lですから、(手回しでは仕方がない)、八戸まで持ちましたが、後10km程度しかないところで、天の助け三沢空港がありました。 空港はどうか。空港は、自家発電で航空機は飛べるからです。
2.放射能のこと 日本人はおおよそ、一月で、1/8mSvを自然被爆しますから、これらあたりから常に被曝量を考えながら動く必要が出てきます。停電にあったのは、降雨中でした。三沢駐車場にとめて、ホテルルートインに避難。裏口から入ります。仕方がないので休んでいる間に復旧。まさに被災しました。雨が降っているので、うすでのフード付きブルゾンを使用しました。韓国では、降雨による休校や野球の中止があったようです。
黒い雨は、話題の中心から微妙にはずれて、問題になっていないが注意が必要。食べ物も注意です。ベクレル(以前はキュリー)の換算表も ネットにあります。